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しがない書生の日記でございます。
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まえから知ってはいたけどこの国の情報ソースに対する概念だめすぎる。

今回の話題は盗版とかそういう話じゃない。
前に、学術研究の材料がネットにしか落ちてない話したでしょ?そっからもわかるように、研究を行うためのソースに対する考え方がやっぱり未熟すぎる。

伝来に伝説が付帯してるような古書をさ、そのまま売り出すなよ。張良が赤松子から授かった本ですって書いて誰が信じるんだ?
あと明らかになってもいない著者名を堂々と記すなよ。出師文以外の文書を安易に「諸葛亮著」とか書いて誰が信じるんだ?

本来ならこう書くべきだろう。

史記には張良が赤松子から授かった書だという記述がある
ため、それに仮託していついつの時代に書かれたものと思われる、
とか
諸葛亮が記したものとして伝来した
が、著者は不明である
とかさ。

うそっぱちを公式に記すだけで、その本の情報ソースとしての価値をゼロにしてるってこと、気にかけないんだろうか。

古書を実用書として使おうとする向きは確かにある。孫子や韓非子の内容を経営学に応用したり、論語を人生の教科書にしようとしたり。

ある中国人が、医学の専攻でもないくせに古代の医学書を集めているのを不思議そうに尋ねてくるので「文学に使う」と答えたら、また不思議そうに「なら小説読めばいいじゃん、使わないのに何集めてんの」って言ってくる。
こんなふうに切り返されては、もう説明する気すら失せる。

彼らは主に、実用することしか考えていない。古文がソースとして価値を持つなんて、そんな概念自体がない、「文学」という分野のことを根本的にわかってない。「文章学」だけでなく「文献学」も「文学」なんだってことを。

ってここまで言うと、そんなこと国家を問わずわかってるヤツは少ないよっていう話になるんだけど

言いたいのは、

実用するだけならばなぜ原文が必要なんだ?原文を載せる以上、ソースの価値を認めるということだ、ならばなぜ、その信憑性を重んじない?

ってこと。

原文がどこにもないよりマシだけど、由来が明らかでない・有名でない本の場合、「インテリ臭い本」の体裁を整えるためのお飾りにしかなってない。

その程度の概念しかないようでは、一般人が学問をするのは不可能だ。

いくら自国の文化イメージだけを大事にしたって、その大部分は時代ごとのメディアによって作られた「うそっぱち」でできてる。
情報ソースを活用するのは学者の仕事だ。だがせめて価値がわからない限り、真の意味で文化を愛する国民はいつまでたっても育たない。
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プロフィール
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七生踊
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性別:
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誕生日:
1989/03/03
職業:
主婦
趣味:
作画、作曲、漢籍
自己紹介:
だいぶ前に母屋がなくなったので前みたいな電波なのでなく普通に書く。
・1989,3,3生まれ、A型
・デフォルトでミニマム状態
・お菓子を見るとときめく
・昆虫を見てもときめく

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