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しがない書生の日記でございます。
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この記事は誤解を避けるために、まずその問題に関する個人的な見解を示してから本題に入るお。


つか女性の権利や男女平等を社会に訴える女ってなんなわけ(・ω・)?
教育が男女に平等な現代、そりゃ責任転嫁ってもんじゃないのかね。
女に家政の教養しか与えられなくて、女が男を知覚的に楽しませられなかった時代ならともかくだ。
今の教育でなら、女は、私生活においては恋愛の駆け引きや男を惹き付ける努力によっては男より断然優位に立てる。男を操作できる。公、つまり仕事場なんかでも、女の職能者が男より少ないのは女がそれを望んでないからだろう。さっさと旦那みつけて家事でもしつつ安逸に暮らすのが多くの女性の望みだからだろう。つまりそうやって惰性で動いてる女に責任があるし、子供生みたい人は社会がどうであれそうする他に仕方がないから責任は社会にはない。
だからね、女の無能(能力の「能」でも能動の「能」でも)を社会のせいにしてるやつらってさ、結局私生活で女として努力してなくて、男をうまく操作できてないから社会の方面にしか目が行かないだけなんじゃねって思うわけよ。

っていうのがうちの個人的な考えで。
それを示したうえで本題はいりたい。

今の女性史では、女性が性愛の場において男性より下位に置かれていった背景について、

既婚女性の浮気のみが「タブー」とか「社会的に認められない」

という言葉で表現する。

でも、ここでいう「社会」って語にはちょっとした罠があると思うんだな。

だって社会の構成員は半分が女だよ。
男だけに浮気が公然と許される状態なんて、大半の女にとってスルーできる状態なわけないじゃない。
その社会の半分の構成員がさ、仮にだ。仮に、ちゃんと「そりゃおかしいよ!!」って主張をどんな形であれしていたならば、そんな「社会」にはならなかったでしょ。

てことはその主張をせず状態に甘んじていたんだね。

その状態が納得できるものではなかったはずなのに、何故なのか。

当たり前だが、ひとつ、離縁されたら食いっぱぐれる。ふたつ、いさかいになり喧嘩になれば、最終的には命の危険がものをいう、つまり男なら女を殴り殺せるが、女には男を殴り殺すことはできない。

ひとつ目は育児と出産がどうしたって関与してくる。古代、共同体の中でみんなで子育てをして、育児が個人の責任じゃなかった時代があったから、恋愛の男女平等が成り立った。その代わりその恋愛も周りに決められねばならないんだけど。育児が個人でなされるようになれば、当然それにあたって1人では働いて食べていくことはできなくなる。不満があっても男に従属せざるを得ない。

こうして見ると、男女の不平等の問題は最終的にはいつだって女の肉体の不利に行き着くんだ。どうしようもない。不平等なのが自然状態。そうでないとヒトは絶滅する。

だから、見た目平等にしようとするなら
女が子供を生み育てる間、男は無償で女の面倒を見なければならないし、女がしゃくにさわることを言っても男は決して手をあげてはならない。
つまり、男女平等は完全に女性優位。
誤解を受けないように、としたのは、ここで言いたいのが「だから女性優位にしなさいよ」ってことでは決してないってことね。

「社会的に」という言葉を使うと、あたかも問題が肉体でなくて社会の制度にあるかのような錯覚を覚える。女性優位が男女平等だと錯覚する。
それが罠っぽいよね。

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なんとなく、物語にみる古人たちが

恋愛のもつれだののほんの小さなことでわざわざ死んでしまう理由がひらめいた。



現代人だったら、

アイツ二股だしまじ市ねだおww

ヤリ捨てだしまじ市ねだおww

で終わった方がいいようなことで、物語中の古人たちは自殺したり心労から死に至ったりする。恋死にって言葉が現実にもあったくらいで。



現代にそんなヤツがいたら、かわいそうでも現実には男女問わず

自立のできてないはた迷惑な存在

として見られてしまうところ。



でもまてよ、と。



あの時代の人って身体的な、五感で感じる嫌なものには相当強かったんじゃないだろうか。



消毒もないから、かかったらめちゃくちゃ苦しむような(主に急性胃腸炎系の)菌とかうようよしてるわけで。寄生虫とかざらにいるわけで。

一旦むし歯になったら抜かなきゃいけないほどひどくなるまで放置するしかないわけで、麻酔はろくなものがないわけで。

しかも医心方とか見ると適当な麻酔もないのに手術らしきことが行われていたわけで。
避妊も確実な方法がないから、レイプやヤリ逃げされたらオワタだよね、堕胎には常に感染症による死が隣り合わせ。望まない子供で育てる経済力もなくて、って人、どんだけいたんだろうねぇ…

あ、あと風呂もろくに入らないしウンコが部屋の中に溜めてあったからそこら中悪臭が漂ってるわけで。

暑さ寒さに対抗できる、効果的な冷暖房器具もないわけで…



まあいろいろあってさ、死ぬかもしれない痛み苦しみを、わりと多くの人が知ってたような気がする。

そんで慣れてたような気がする。



だから今なら

心労<死ぬ苦痛

って大半の人がなるところを、昔だったら

心労>死ぬ苦痛

ってなることが容易だったかもしれない。

五感で感じる生が、昔はめちゃくちゃ嫌なことだらけで、もちろん生まれたときからそうならば古人はそれが苦しみだなんて思いもしなかっただろうが、

でもそんな日常にいたならば、何かあった時に死のうと思うことが容易だったかもしれない。

憂き世なんて言葉現代人が使ってみ?何ニヒリズム浸ってんだ超ダッセェこいつwwで終わりだに。




だから死を望む人に対してどうこう言っていいのは、せめて風呂にまともに入れる時代が来てからだ。時代のある地点ではさ、死にたいってめちゃめちゃ自然な感情だったと思うんだよね。

今この論の流れで

自殺する人



自殺する人を咎める人

のどちらを咎めるのもお門違いだけど、

今うちらが歩んでいる生がいかに五感にとって幸せで不自然なものかがよーくわかるもんだから過去を見ることも面白いよねって話だお。

かなーり前、母屋にのっけてた頃の随想になるのだけれど。

技巧を重視しない芸術は、見る人から芸術を作る心を忘れさせてしまう旨、であれば芸術は技巧あってのものだとする旨のものを書いた。

今でもそりゃそうだと思ってんだけどさ、ある歌手を見ていて、多く人は芸術に芸術を求めるんじゃなく、エネルギーを求めてるのかなと感じた。

例えば自分、純粋な感情表現はほぼしないのね。
ある感情が心に湧いても、必ずそれは脳内の検閲を経て、表現するメリットがあると判断された場合のみ表現される。ないと判断されれば出版禁止命令ってことで…
逆に湧いてない感情でも、表現するメリットがあると判断されれば表現される。

表現するのはそれ自体エネルギーいるしさ、場合によっては危険が、…喧嘩になるかもという危険、馬鹿にされるかもという危険…結局は手の内を明かすという危険が伴うからもっとエネルギーがいる。
最小限のエネルギーで済むよう、習慣的に計算してしまうんだね、脳が。
人によっちゃそれで理想的なのかもしれない。実際あんたみたいになりたいよってよく言われるしね
でもその自動計算装置は、たぶん内に内包されるエネルギーの乏しさをカバーする必要があるからついているもの。できるだけ平穏無事に事を運ばないと、動乱の中には身を置けない。
絵を描いても曲をつくっても表れてくるんだぜ、それって。形は小綺麗にめやすく整っているんだけど、なんつーか魂がない。よく言えば、特に曲なんかは自然だとか透明感があるとかいう評価にはなるんだけどさ、そりゃ無難な音を計算しつくしてるからさ。


そんな気がしてるもんだから、何であれ感情を感情のまま表現できる人はきっとものすごいエネルギーを内蔵していてるんだなぁと思う。

きっとみんな、その欠片が欲しいんだ。


エネルギッシュな芸術家たちを、
思うんだよ、心底すごいなぁカッコいいなぁって思うんだけど、
どうしても好きにはなれないのは、理解を超えてるからかもしれない。

以上、これは、非技巧派の立場に立ってみたときのおはなし。
日曜日にねd

ただあれは芸術としてはかなり終わってるなと感じた。

いや、演者の方々や能の形態自体を批判する意味じゃないんだ。文字通り、「終わってる」。衰退を決して避けられない運命にある。

能は仕草の表す意味が決まってるし、ストーリーにも決められた形式があるから知ってる人が見れば感慨深いものなんだろう。

でも世の中に能の識者と無識者、どっちが多いと思う?って問題。

仮になんにもわからない子供か外人だったとしてだ。


舞台にいるのはじじいばっか、聞き取りにくいブヨブヨした声、リズムも不規則で周波数も全く合わない掛け声や囃子、台詞を掻き消すほどのそれらの音量。

こんなものが本能レベルで心地いい筈はなかろうて。

もちろん理屈をつければ芸術としての素晴らしさはそこにだってある。規制されない、自然な音が聴ける。現代の演劇のように音楽やダンスがストーリーをもり立てる役になってしまうのではなくて、全ての要素が主役になれる。総合芸術としての役目をより色濃く残している。

だけど、そんな理屈が出る以前にまず感じるのは、不協和音にも近い気持ち悪い音。セリフさえ掻き消す無配慮な音量バランスは見入る気を失せさせる。
こういう反応を示すのが「大衆」の耳であり目。

「理解できないやつが多すぎる」と嘆くことが良いか無意味かはとりあえず置いといて、
能は見る側に下調べを求めちゃうんだから人気を博し得ずに衰退するのはまず当然の事実としてあるわな。

上で「置いといた」意味はね、実を言うと
うちは能にはもはや史料としての価値しかないと思ってる。そして、ああいうこと言って存続に努めようとする分子は史料の伝来に毀誉するから。

でも多数派の目線って微妙なものだよね(・ω・`)つまらん理屈づけをスルーできる変わりに技術の低さもスルーするから結局金かけて宣伝したものが勝っちゃったりね

難しいね(´_`)
またまた古事記ネタですが。

今日は天の岩戸の段を読んだ。かなりえぐい描写がいぱーいだね。

スサノオが神殿にウンコ撒き散らしたりとか
アマノウズメが神懸かりして大事なところをさらけ出しちゃったりとかね。

でもそれに対する解釈は、「神聖な場所に汚れを撒いた」だの「女陰を出すのは呪術的意味がある」だの「生の象徴」だの、全然えぐくない。言いやすい、洗練された言い回しに変えられている。

だけど疑問に思うのは、もっと直観的で単純な捉え方のほうが当世人たちの感覚を再現できるんじゃないかってこと。

だってさ、この時代まだ産業化も始まってなければ物質と切り離されたレベルでの倫理観も未発達なわけだ。おまけにトイレもなければ、日常普遍的に接するものの中で何がイヤかって、やっぱウンコだろ。

だから「穢れ」とか象徴的な言い回しに変えなくても、そのまま原文訳して「ウンコ撒き散らした」って言えばいいんだって。

それに、女が胸やアソコをさらけ出せば周りでみてる男性陣も
キタ━━(゚∀゚)━━
ってなるだろうさ。ストリップ見てる感覚だって。神々が笑ったのはそういうことであって、別に生命の象徴がさらけ出されたからとか考えてないと思うな。
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七生踊
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1989/03/03
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主婦
趣味:
作画、作曲、漢籍
自己紹介:
だいぶ前に母屋がなくなったので前みたいな電波なのでなく普通に書く。
・1989,3,3生まれ、A型
・デフォルトでミニマム状態
・お菓子を見るとときめく
・昆虫を見てもときめく

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