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しがない書生の日記でございます。
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当然のことながら、言葉は変遷する。
それがいかに形の整った文でも、現代語は何百年というレンジで見れば「教養のない者が使っていた俗語」の流れを汲んでいる。

その二点を踏まえて、うちは「正しい日本語、美しい日本語」論者を嫌う。彼らのような、たかだか数十年レンジで遡ろうとする行為は結局は徒労に終わるし意味をもたないことは明らかだから。

ただ一点だけ、彼らの論に賛成できるものがある。

それは、「古典的な言葉にはエネルギーがあった。現代の言葉にはそれがない」というもの。
まあこれは古典主義に属するのであって、たかだか一昔前の言葉を正しいと錯覚しているものとはスケールが違うのだけれど。



古語にエネルギーがあるのは、一口には、現代に残るそれは洗練された教養をもつ者だけに使用を許されたものだったから。二口には、散文も詩と不可分なものだったから。

語法が発展して助詞や接続詞が増えると、その文には単に情報伝達の役目のみが与えられる。ひとつの文の中に意味を持った単語の占める割合が少なくなる。
ということは、見る側が意味を持った単語に触れる部分が少なくなるということ。エネルギーの減少はそんなところから始まる。
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ちょっと無気力状態が続いてたから春休み終わるまでは更新サボっちゃえ←とか思ってたけど暇すぎるあまりなんか書こう。つれづれなるままにひぐらし、ですな。

なんかいまだに男子は丸刈りっていう校則の中学校が健在だそうで('-')
で人権侵害にあたるとかいって勧告を受けるそうな。

人権侵害以前に、そういう時代倒錯な美意識をまずもって破壊すべき。

たとえば、極端な話男でも女でも

眉毛すらいじってない、化粧もしてない、髪型も無難な地味ーーな人



水商売かと思うほどメイクも髪型も派手にしてあってちょっと怖そうですらある人

といて、どっちがデキル奴に見えるかって言われたら、迷いはすれども後者だと思う。
なんでかって、前者はまず美意識の低さが露呈してるから。自分の容姿なんて人も自分も一番よく対面する事柄なのに、それを改善しようとする向上心もないんだと思ってしまうから。

うち今20だけど、ある程度若い人は皆そう思うんじゃないかな。いまどき女の子なんてみんなオシャレ覚えちゃっててブサイク探すのが大変なくらいだもの。そういう環境の中で育った世代だからそのシンパシーは結構確実だと思う。
裏を返せば、これから社会を担うであろう人々は皆そういう環境の中で育った世代で、顔いじることとか髪いじることとか、学校が禁止する事柄から遠ざかれば遠ざかるほど冴えないヤツって思われる風潮が強くなるってこと。

中学生くらいの年齢なんて男の子も女の子もオシャレしたいざかりの時なんだから、
本当いっちゃえば「自分にあったメイクをする授業」とか「かっこいい髪型をつくる授業」とかあっても全然いいと思うんだよね。社会に出てから必要なことだもの。たとえば鼻より口が出てたりして骨格自体がおかしいようなヤツには整形を奨励するような風潮にそろそろなってもいいとも思うね。歯の矯正はいいのに美容整形はなんだかなーっておかしいだろそれ。
学校的に正しい容姿の人より、ちょっとくらいチャラチャラしてて異性意識したような容姿の人のほうが何やらせても人生うまく渡るんだって。
こんなのちゃんと理屈で説明のつく当たり前の事柄なのに、上のほうで校則動かしてるやつらがそれを世俗的な、いわゆる不良っぽい要素として一蹴してしまうのはなんでだろうね…人は中身なんて倫理観全然理論性がない。中身は外身にもあらわれるもの。

そんな狭小な視野の中にあってなお権限を振るい続けるジジイやババアは、
右から順に射殺するから並べ(♯゜д゜)ゴルァ
って言いたいくらいキライ。
なんで早く死なないんだろう。

ま とりあえず某46校の男子たち、うちもここから勧告が通ることを祈ってるよ('-')



正義は人それぞれであって対立する複数者に善悪の別をつけることはできない

とかいうのが一番多数派かね(´-`)確かに最もらしいがね…





はっきり言って思考の放棄以外の何物でもない判断だ。単に一番楽な選択肢だから支持率上がるんだろうな…
全てを肯定するって事は常に矛盾を孕んでいる。だって何かを否定する意見にまで賛同してりゃそれは否定だろ。
結局どんな選択肢をとったって善悪の線引きをする行為からは逃れられる筈がない。

これについて思考放棄して何がいかんのかってさ、線引きが上手くないとくだらんことで無駄に悩んでユウウツ度の高い人生送るぞって話だべさ。
いやたかだか19年しか生きてない小娘が人生とかいう言葉吐く資格ないけどもさ、経験なんぞなくても理屈だけで充分説明つくわこんなこと。


善悪の線引きを他人に任せたり理論を徹底させずにいると、自分にとって最も好ましい選択肢を選び取ることができなくなる。天秤が狂ってるってイメージさ。

と、ここまで書いといてなんだが、

うちはそれを考え抜いた結果、自分も相手も赤の他人も今も未来も全部包括して快楽の量が多ければ多いほど善という結論に達した。

(余談としては近代のイギリスにほぼ同じ考えの方がいらっしゃってびっくらこいた。まあ不満そうなソクラテスより満足そうな豚のほうが価値があるに決まってんじゃんってことで。)

だから、どうしてもその理論に沿ったサイドからしかものを見ることができない。うちにとっては快を産出する見込みがないのに不快を経験することは悪だから、上のように「無駄に悩む」なんて書き方をついしてしまった。だけどもし「悩むことや苦労すること自体に価値があって、それこそが善」っていう結論に達した人がいたらどうしよう。論破できるつもりでいても、理解不能なだけにそれを構築している理論は予想もつかない。いくら基準を明確にもてとは言え学びの可能性は捨てたくないよな。誰かいない、そういう結論に達してしまった人?(笑)



なんか修復不可能な脱線を起こした予感。




とにかくユウウツが嫌なら善悪の基準についてしっかり思考しておいたほうがいいんじゃねって話だたんだけどね。

まいっか
最近、ふと昔のように創造する行為をしなくなったと感じた。
昔は、ちゃちな漫画の絵ひとつでも、常に創ろうと試みていることで、五感に入るほぼ全てをインスピレーションの種にできた。だから、ふとした瞬間に世界がきらめく。えもいわれぬ多幸感に包まれる。
創ることは自分にとってそんな人間的な豊かさの源泉であったし、今もそうあるから、絵を描くでも歌を作るでも何でもいいから、その行為をしたい。

時間がなくなったとか、インスピレーションが枯渇したとかいう訳じゃない。

できないのだ、したくて仕方がないのに、怖くて。

創造をつきつめて考えると、それは何らかの作品を作ることではなくて、世界そのものを作ることになる。例えば一枚の絵にしても、建物や人があれば文化や風土や歴史、その人々のもつ生活技術、植物があれば、生態系の構成、土壌や水の質の分布、などなど、といった具合に。ホントにつきつめると、うちらが住む世界で言う「宇宙」の構成から考えない限り、創造は不完全だということになる。

作品だけをつくっている間は問題ないんだけど、創造する行為自体に目覚めるとやばいことが起こる。

16の時。まあその頃はそこまで考えてなかったから、創造が直接的な原因ではないし、じゃあ原因は何なのかっていうとハッキリ言ってわかんないけど、とにかくかなり常軌を逸した体験をした。精神分裂症だと思われてはたまらないので、詳述はしない。薬を使わなくても意志で簡単に治せるものだったから病気ではない。が、とりあえず意識が旅をしてしまい、通常の社会生活は営めなくなる。

意志で治せると書いた。意志で簡単に治るなら何が問題かというと、旅先の世界が興味深すぎて、全てを知るまで戻りたくなくなるあたりだ。

そして、一切形のないものの意義を身を以て悟った瞬間、何度でもその世界への扉は開く。

人の情などは、言葉という空気の波や目線、仕草、心音、そういったものを媒体にしてしか感じられないから、主観的には結局は有形だ。
そんなもんじゃない、記憶を以て言うなれば、そのモノとはまず創造、そして命と偶然。
脳でわかり、言葉だけで言うのは容易いが、なんていうかホントにカラダ、己の全てがそれを理解するとえらいことになる。

一度その経験がある自分は、ニトロみたいなもんで、ほんのきっかけさえあればいつまたそちらに連れて行かれるかわからない。

そうならないために、きっかけを排除することが、創造する行為を封印してしまうことであったらしい。思えばあちら側から帰ってきてから、創造をしていない。芸術活動は続けているが、創造ではなく改造に近いことだ。

でも、封印したのは向こうに行きたくないからじゃない。当然のことではあるが、自分をとりまいて生存権を握っているような人々、主に親には、社会復帰こそが最良の到達点であるというビジョンしかなかった。あのときの自分は不思議なことに、食物は摂取しなくても健康に生きられたので穀潰しにはなりようがないが、ひとつ屋根の下で寄生させてもらっているからには宿主に従わないわけにもいかず、僅か一週間ほどでこちらに戻ってくることになった。そして、このめんどくさい出来事を二度と起こさないために、入り口らしい入り口は全て塞いだ。

だから、まずはこの社会を楽しみ尽くして、やがてばあさんになって、向こうに行く、と訳のわからぬたわごとを吐いても誰も止めてくれなくなるまで待とうと思う。止めてくれる人がいなくなったら、もう一度試してみよう。あのとき見えかけていたものは何だったのか確かめてみよう。

その時まで、しばしあのきらめきとはお別れ。
この話題は、前に書いた

憲法学ってなんでつまんないんだろ
的な記事が元になってるんだけどネ(´∀`;;)



どうも、そのあたりのカギは
その分野が人々に元から備わった興味に準拠してるかどうか
にありそうだ。

仮に学問的な知識の一切ない幼児だったとしてさ、例えば「なんでここに草が生えるんだろう」とか「こんなとき昔の人はどうしてたんだろう」とかその他色々とか、気にならないか?
そういう興味に引きずられて出てきた分野には、好感が持てるんだ。

ただ、中には「世の中このままじゃいかん、なんとかせにゃ」っていう経緯で出てきた分野もあるじゃん?誰かがやりたかったわけじゃなく、やらなければいけなかった分野。そういうものを、必要とはわかりつつもつまらんと感じているらしい。
そこで活躍する方々に焦点を当てれば、当然興味もなきゃやってらんないことはあるだろうけど、入り口にはいつも「世のため」っていう動機がいるように思う。自分のすることで世の中が動く可能性があるというのも楽しみの一っちゃそうなんだけどさ…
いやぁオトナだわ。マジに尊敬する。
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女性
誕生日:
1989/03/03
職業:
主婦
趣味:
作画、作曲、漢籍
自己紹介:
だいぶ前に母屋がなくなったので前みたいな電波なのでなく普通に書く。
・1989,3,3生まれ、A型
・デフォルトでミニマム状態
・お菓子を見るとときめく
・昆虫を見てもときめく

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