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しがない書生の日記でございます。
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今日はかなり激しく移動しなきゃいけないし、昨日の暑さを思い出してちょっと鬱になりつつ昼くらいまでごろごろする。
で意を決して起きると、盛大に腹を下した。もう嫌だ。
とはいえ一日余分に滞在するのもしゃくなので、仕方なく活動を開始する。

まずはバスに乗って三官廟へ。

今日行くところは三つとも、観光名所でもなんでもなく、地図の上に載っているだけの無名な道観だ。だから地図上で見た道しか知らないし、どんな場所なのかも知らない。

バスを降りて地図の通りに進んでいくと、ものすごいさびれた路地に。地面は舗装が不完全で砂埃だらけで、至る所にゴミの山があって至る所をハエが飛び回っている。緑は一つもない。
そうそうこういうところが成都にはなかったんだよな。他の省に出ると、こんな、住人の品性を疑わずにはいられない場所があっちこっちにある。成都…食べ物おいしくて治安よくて衛生的で、まじで突っ込みどころないやん。来たばっかの頃は中国クオリティなものがいっぱいあって日本人は結構それを馬鹿にしてたりしたんだが、他の省はもっとひどかったw

さて道は合っているはずなのに一向に廟が見えないので付近の人に訪ねたところ、なんとここには元々廟なんてないと。いや、おかしい、地図にはしっかり廟の記号が書いてあるんだから、ただの地名ではありえない。すると奥からおばあちゃんが出てきて、元はあったんだよみたいなこと言った。だが方言がやっぱりきつくて、元はあったが壊されたということと、その壊された年代がおばあちゃんが生まれるより前だということしかわからなかった。
多分文化大革命の頃だろう。戦後復興が開始されたって、こんなへんぴなところまで復興の手がまわらなかったに違いない。

またバスに乗り関帝廟へ向かう。
ところが関帝廟も、三官廟と同じようなところに。しかもやっと文化保護単位に認定されたのが2009年?
あったのは小さい部屋に祭られた関羽とその二人の養子の像だけだった。
ここは革命をひっそり生き延びたのかな。こんな小さい廟だから生き延びられたのかもしれない。

さて最後の八卦廟は、バスで行くには少々不便な場所で 関帝廟からはタクシーが一番便利。ところが三人くらいタクシー捕まえて訊いてもみんな知らないw
そんなわけで諦めた。

そういえば今の宿のおばちゃんはただの親切な人だったみたいやね(´ω`)荷物も無事だったし、帰ったら服を干すためのハンガー貸してくれて、「階下に水が漏れるから、服は流しで洗って、シャワーは急いで使ってね」って注意されたw

明日は少林寺行くよ(・∀・)!
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プロフィール
HN:
七生踊
年齢:
36
性別:
女性
誕生日:
1989/03/03
職業:
主婦
趣味:
作画、作曲、漢籍
自己紹介:
だいぶ前に母屋がなくなったので前みたいな電波なのでなく普通に書く。
・1989,3,3生まれ、A型
・デフォルトでミニマム状態
・お菓子を見るとときめく
・昆虫を見てもときめく

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