しがない書生の日記でございます。
今日はかなり激しく移動しなきゃいけないし、昨日の暑さを思い出してちょっと鬱になりつつ昼くらいまでごろごろする。
で意を決して起きると、盛大に腹を下した。もう嫌だ。
とはいえ一日余分に滞在するのもしゃくなので、仕方なく活動を開始する。
まずはバスに乗って三官廟へ。
今日行くところは三つとも、観光名所でもなんでもなく、地図の上に載っているだけの無名な道観だ。だから地図上で見た道しか知らないし、どんな場所なのかも知らない。
バスを降りて地図の通りに進んでいくと、ものすごいさびれた路地に。地面は舗装が不完全で砂埃だらけで、至る所にゴミの山があって至る所をハエが飛び回っている。緑は一つもない。
そうそうこういうところが成都にはなかったんだよな。他の省に出ると、こんな、住人の品性を疑わずにはいられない場所があっちこっちにある。成都…食べ物おいしくて治安よくて衛生的で、まじで突っ込みどころないやん。来たばっかの頃は中国クオリティなものがいっぱいあって日本人は結構それを馬鹿にしてたりしたんだが、他の省はもっとひどかったw
さて道は合っているはずなのに一向に廟が見えないので付近の人に訪ねたところ、なんとここには元々廟なんてないと。いや、おかしい、地図にはしっかり廟の記号が書いてあるんだから、ただの地名ではありえない。すると奥からおばあちゃんが出てきて、元はあったんだよみたいなこと言った。だが方言がやっぱりきつくて、元はあったが壊されたということと、その壊された年代がおばあちゃんが生まれるより前だということしかわからなかった。
多分文化大革命の頃だろう。戦後復興が開始されたって、こんなへんぴなところまで復興の手がまわらなかったに違いない。
またバスに乗り関帝廟へ向かう。
ところが関帝廟も、三官廟と同じようなところに。しかもやっと文化保護単位に認定されたのが2009年?
あったのは小さい部屋に祭られた関羽とその二人の養子の像だけだった。
ここは革命をひっそり生き延びたのかな。こんな小さい廟だから生き延びられたのかもしれない。
さて最後の八卦廟は、バスで行くには少々不便な場所で 関帝廟からはタクシーが一番便利。ところが三人くらいタクシー捕まえて訊いてもみんな知らないw
そんなわけで諦めた。
そういえば今の宿のおばちゃんはただの親切な人だったみたいやね(´ω`)荷物も無事だったし、帰ったら服を干すためのハンガー貸してくれて、「階下に水が漏れるから、服は流しで洗って、シャワーは急いで使ってね」って注意されたw
明日は少林寺行くよ(・∀・)!
で意を決して起きると、盛大に腹を下した。もう嫌だ。
とはいえ一日余分に滞在するのもしゃくなので、仕方なく活動を開始する。
まずはバスに乗って三官廟へ。
今日行くところは三つとも、観光名所でもなんでもなく、地図の上に載っているだけの無名な道観だ。だから地図上で見た道しか知らないし、どんな場所なのかも知らない。
バスを降りて地図の通りに進んでいくと、ものすごいさびれた路地に。地面は舗装が不完全で砂埃だらけで、至る所にゴミの山があって至る所をハエが飛び回っている。緑は一つもない。
そうそうこういうところが成都にはなかったんだよな。他の省に出ると、こんな、住人の品性を疑わずにはいられない場所があっちこっちにある。成都…食べ物おいしくて治安よくて衛生的で、まじで突っ込みどころないやん。来たばっかの頃は中国クオリティなものがいっぱいあって日本人は結構それを馬鹿にしてたりしたんだが、他の省はもっとひどかったw
さて道は合っているはずなのに一向に廟が見えないので付近の人に訪ねたところ、なんとここには元々廟なんてないと。いや、おかしい、地図にはしっかり廟の記号が書いてあるんだから、ただの地名ではありえない。すると奥からおばあちゃんが出てきて、元はあったんだよみたいなこと言った。だが方言がやっぱりきつくて、元はあったが壊されたということと、その壊された年代がおばあちゃんが生まれるより前だということしかわからなかった。
多分文化大革命の頃だろう。戦後復興が開始されたって、こんなへんぴなところまで復興の手がまわらなかったに違いない。
またバスに乗り関帝廟へ向かう。
ところが関帝廟も、三官廟と同じようなところに。しかもやっと文化保護単位に認定されたのが2009年?
あったのは小さい部屋に祭られた関羽とその二人の養子の像だけだった。
ここは革命をひっそり生き延びたのかな。こんな小さい廟だから生き延びられたのかもしれない。
さて最後の八卦廟は、バスで行くには少々不便な場所で 関帝廟からはタクシーが一番便利。ところが三人くらいタクシー捕まえて訊いてもみんな知らないw
そんなわけで諦めた。
そういえば今の宿のおばちゃんはただの親切な人だったみたいやね(´ω`)荷物も無事だったし、帰ったら服を干すためのハンガー貸してくれて、「階下に水が漏れるから、服は流しで洗って、シャワーは急いで使ってね」って注意されたw
明日は少林寺行くよ(・∀・)!
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言語を学習中の外国人にとって必要なものはね、もちろん専門的な言語学知識とメソッドを持った優秀な教師、も そうなんだけど、ここ中国にはそんな質のいい教師は皆無なわけだ。教師ってもみーんな、例えば前に書いたように「他動性」とか「アスペクト」みたいな言語学的な世界共通の概念、もしくは音声学的な知識なんか持ってなくて、持ってる知識といえば月並みな国語文法知識、あとは現場の経験くらいなわけだ。
ところが、そんな 先生に指導力が全く期待できない状況の中にあったって、やっぱり先生は有難い存在だった。
何故かって、彼女らは外人と意思疎通を取ることが仕事だからだ。つまり、言葉をろくに話せない外人がどんなにわからないことを言ったって、その意味を意地でも理解しなければいけないポジションに立たされている。
相手が外国人だということをわかっていて、相手の言うことを理解しようと努め、また相手に伝わるような言い方で話そうと努める、それだけで、言語学に対して何の素養も持っていなくたって言葉が不完全な者と意志の疎通を取ることは充分できる。
これが学校の外に出ると、発音や文法がものすごく間違ってたりするわけでもないはずなのに、不思議なくらい言葉が通じなくなる。相手が自分と同年代くらいの若者なら問題なく会話できるから、方言の問題ももちろんあるだろう。
ところが、学校の外ではまた、こちらが言語の不完全な外国人だとわかっていても1ミリも言語的な配慮をしてくれない人も不思議なほど多い。例えば相手の言う言葉が聞き取れなくて聞き返す。ところが何度聞き返したところで、中国人に話すのと同じような言い回しや速度でしかものを言わない人が、不思議なほど多い。
(本当に「不思議」だ。なぜって、自分が日本語の不完全な中国人に日本語を話すときはものすっごく配慮して、日常語でない言葉、つまり教科書にいかにも載っていそうな言い回しで、ゆっくりとゼスチャーを交えつつ話すようにしてるから。だから配慮しない人間は理解できないし、あなたの言葉は大変聞きやすいとみんな言ってくれる。)
そう、人はほとんど、外国人と意志の疎通をとる気などさらさらないのだ。
それは不親切でもなんでもなく、受け入れるべき自然状態だと思う。
そして、それをわかっているからこそ、殆どの外国人は言葉を話すことに遠慮を感じなければならない。
そこで、身寄りのない外国人が言語を習得するためには
ある人を、強制力を以て、彼らと意志の疎通をとらなければいけないポジションに立たせる必要がある。
教師というのは、その強制力を備えたポジションの一つの形態だ。
学習者の能力にもよるけれども、言語に対する知識をつける、つまり理解を強化するだけならば、ネットが発達したこのご時世、一人でも充分できる。だが一人では産出の訓練ができない。読みと聞き取りは一人でも訓練できるが、書きと喋りは一人では訓練できない。
だから教師は練習台になればいい。言語に対する知識も万全で、学習者の理解を助けることができればそれはベストだけれども、そんなことよりも「教師」というポジションが存在していることそのものの意義が一番大きい。
特にうちのような、記憶力は鬼だけどもコミュ力がバイキンくらいしかないヤツにとって、このポジションの存在は本当に丁度よい助けになる、というか なった。
と思う。
ところが、そんな 先生に指導力が全く期待できない状況の中にあったって、やっぱり先生は有難い存在だった。
何故かって、彼女らは外人と意思疎通を取ることが仕事だからだ。つまり、言葉をろくに話せない外人がどんなにわからないことを言ったって、その意味を意地でも理解しなければいけないポジションに立たされている。
相手が外国人だということをわかっていて、相手の言うことを理解しようと努め、また相手に伝わるような言い方で話そうと努める、それだけで、言語学に対して何の素養も持っていなくたって言葉が不完全な者と意志の疎通を取ることは充分できる。
これが学校の外に出ると、発音や文法がものすごく間違ってたりするわけでもないはずなのに、不思議なくらい言葉が通じなくなる。相手が自分と同年代くらいの若者なら問題なく会話できるから、方言の問題ももちろんあるだろう。
ところが、学校の外ではまた、こちらが言語の不完全な外国人だとわかっていても1ミリも言語的な配慮をしてくれない人も不思議なほど多い。例えば相手の言う言葉が聞き取れなくて聞き返す。ところが何度聞き返したところで、中国人に話すのと同じような言い回しや速度でしかものを言わない人が、不思議なほど多い。
(本当に「不思議」だ。なぜって、自分が日本語の不完全な中国人に日本語を話すときはものすっごく配慮して、日常語でない言葉、つまり教科書にいかにも載っていそうな言い回しで、ゆっくりとゼスチャーを交えつつ話すようにしてるから。だから配慮しない人間は理解できないし、あなたの言葉は大変聞きやすいとみんな言ってくれる。)
そう、人はほとんど、外国人と意志の疎通をとる気などさらさらないのだ。
それは不親切でもなんでもなく、受け入れるべき自然状態だと思う。
そして、それをわかっているからこそ、殆どの外国人は言葉を話すことに遠慮を感じなければならない。
そこで、身寄りのない外国人が言語を習得するためには
ある人を、強制力を以て、彼らと意志の疎通をとらなければいけないポジションに立たせる必要がある。
教師というのは、その強制力を備えたポジションの一つの形態だ。
学習者の能力にもよるけれども、言語に対する知識をつける、つまり理解を強化するだけならば、ネットが発達したこのご時世、一人でも充分できる。だが一人では産出の訓練ができない。読みと聞き取りは一人でも訓練できるが、書きと喋りは一人では訓練できない。
だから教師は練習台になればいい。言語に対する知識も万全で、学習者の理解を助けることができればそれはベストだけれども、そんなことよりも「教師」というポジションが存在していることそのものの意義が一番大きい。
特にうちのような、記憶力は鬼だけどもコミュ力がバイキンくらいしかないヤツにとって、このポジションの存在は本当に丁度よい助けになる、というか なった。
と思う。
ここの道路怖すぎるwww今まで通過したどの都市の道路よりも怖いwwなんで大通りに信号がひとつもないんだよwでもってなんで歩行者が走行中の車から必死に身をかわしながら道路を渡らないといけないんだよwwwww
さて朝宿を変えたのはいいが、部屋に案内されると日本でいうネカフェだった。(中国のネカフェは日本みたいに個室がなくて、だだっ広い空間にパソコンが並べてあるだけ。今回見つかった部屋はちょうど日本のネカフェと同じような部屋だった)しかも、建物自体が宿として営業しているのではなく、アパートの一室の一部屋一部屋を客に貸し出してるという感じのところ。
パスポートを見せると、部屋まで案内してくれたおばちゃんが握手して「ようこそ中国へ」みたいなことを言ってくる。でバスの路線を聞くと、自ら案内してくれるという。
…怪しい。怪しすぎる。
こんなフレンドリーなおばちゃん見たことない。部屋の構造も怪しい。裏でよからぬことを企んでいるのではないか?
帰ってきたら荷物が消えてるというオチを想定して、大事なものは全て持ち出すか、鍵のついたスーツケースに移し変えて部屋を出た。ただの世話好きな親切おばさんだったら本当に申し訳ないんだが、最低このくらいの猜疑心は身を守るために必要だろう。
さて、まずはより近い城隍廟へ。
やっぱり城隍廟は普通の道観よりも地域に密着してる感が強くて、無料で入れるし、入り口には中高年がたむろして楽しそうにおしゃべりしている。
道士らしいのもいなくて、職員はみんなボランティアのおばちゃんみたいな雰囲気の人。
中には神だけじゃなくて豫劇(河南省のローカル京劇)の衣装や写真や舞台装置が展示してあって、地域の文化施設としての機能も持っているよう。
城隍の居るところを通り過ぎると、いつも斗母星君と一緒に居るはずの太歳たちが単独で、しかも一人ひとり詳細に作りこまれた像で飾られている。彼らの居る部屋の前には十二支をデフォルメした石像が並んでたけど、十干より十二支が著名なんだろうか?理屈は逆な気がする…。
でもっと奥に進んでいくと、閨の形を象った神棚に夫婦っぽい神様が座ってた。
やっぱり城隍廟は他の道観とは一線を画したものがいっぱいだ。
で行こうと思ってた商代遺跡は、一般公開されてないっぽかったのでそのまま帰る。
荊州・湖北も暑かったが、豫州・河南も相当あっつい。荊州の暑さは汗がだらだら出てくるんで、水さえきっちり撮ればどってことないんだが、豫州の暑さは何故か汗が出にくい(といっても暑いからには汗は相当かく)暑さなんだ。汗が出ないとどうなるかって、気化熱がないんで体がオーバーヒートして、熱を下げようと血管が開くわけだ。そうするとうちみたいな低血圧な子は頭まで血が上らなくなるわけだ。ええ、もう、帰る頃には脳が酸欠状態でやばかった。ずっとふらふらするし、ずーっと眉間にしわがよるし、喘ぐようにしか息ができない。
エアコンのきいた室内に戻ると 早速パソ子開いて、日本で使ってたパソ子から送ってもらった&中国でダウンロードした、
アリプロ→ビッグマウンテン(アメリカのレゲエグループ)→スマイルdk(♪aiaiai I'm your little butterfly~ の人)→マキシマムザホルモン→カプセル→鏡音
というジャンル激無視のお気に入りごちゃ混ぜコースを耳にぶち込みつつぶっ倒れる。
ばんごはん 食べたらさっさとシャワー浴びて寝よっと(・ω・)
明日は八卦廟とか三官廟とか行く。
さて朝宿を変えたのはいいが、部屋に案内されると日本でいうネカフェだった。(中国のネカフェは日本みたいに個室がなくて、だだっ広い空間にパソコンが並べてあるだけ。今回見つかった部屋はちょうど日本のネカフェと同じような部屋だった)しかも、建物自体が宿として営業しているのではなく、アパートの一室の一部屋一部屋を客に貸し出してるという感じのところ。
パスポートを見せると、部屋まで案内してくれたおばちゃんが握手して「ようこそ中国へ」みたいなことを言ってくる。でバスの路線を聞くと、自ら案内してくれるという。
…怪しい。怪しすぎる。
こんなフレンドリーなおばちゃん見たことない。部屋の構造も怪しい。裏でよからぬことを企んでいるのではないか?
帰ってきたら荷物が消えてるというオチを想定して、大事なものは全て持ち出すか、鍵のついたスーツケースに移し変えて部屋を出た。ただの世話好きな親切おばさんだったら本当に申し訳ないんだが、最低このくらいの猜疑心は身を守るために必要だろう。
さて、まずはより近い城隍廟へ。
やっぱり城隍廟は普通の道観よりも地域に密着してる感が強くて、無料で入れるし、入り口には中高年がたむろして楽しそうにおしゃべりしている。
道士らしいのもいなくて、職員はみんなボランティアのおばちゃんみたいな雰囲気の人。
中には神だけじゃなくて豫劇(河南省のローカル京劇)の衣装や写真や舞台装置が展示してあって、地域の文化施設としての機能も持っているよう。
城隍の居るところを通り過ぎると、いつも斗母星君と一緒に居るはずの太歳たちが単独で、しかも一人ひとり詳細に作りこまれた像で飾られている。彼らの居る部屋の前には十二支をデフォルメした石像が並んでたけど、十干より十二支が著名なんだろうか?理屈は逆な気がする…。
でもっと奥に進んでいくと、閨の形を象った神棚に夫婦っぽい神様が座ってた。
やっぱり城隍廟は他の道観とは一線を画したものがいっぱいだ。
で行こうと思ってた商代遺跡は、一般公開されてないっぽかったのでそのまま帰る。
荊州・湖北も暑かったが、豫州・河南も相当あっつい。荊州の暑さは汗がだらだら出てくるんで、水さえきっちり撮ればどってことないんだが、豫州の暑さは何故か汗が出にくい(といっても暑いからには汗は相当かく)暑さなんだ。汗が出ないとどうなるかって、気化熱がないんで体がオーバーヒートして、熱を下げようと血管が開くわけだ。そうするとうちみたいな低血圧な子は頭まで血が上らなくなるわけだ。ええ、もう、帰る頃には脳が酸欠状態でやばかった。ずっとふらふらするし、ずーっと眉間にしわがよるし、喘ぐようにしか息ができない。
エアコンのきいた室内に戻ると 早速パソ子開いて、日本で使ってたパソ子から送ってもらった&中国でダウンロードした、
アリプロ→ビッグマウンテン(アメリカのレゲエグループ)→スマイルdk(♪aiaiai I'm your little butterfly~ の人)→マキシマムザホルモン→カプセル→鏡音
というジャンル激無視のお気に入りごちゃ混ぜコースを耳にぶち込みつつぶっ倒れる。
ばんごはん 食べたらさっさとシャワー浴びて寝よっと(・ω・)
明日は八卦廟とか三官廟とか行く。
朝 昼発の切符を買い、昼まで時間をつぶして河南省へ。
朝起きるの大っ嫌いだったんだけど、最近普通に起きるなぁ…でも日本に帰ったらまた元に戻る気がするw今やってる道観巡りくらいでかい動機がないと起きないw
列車の上では特に何も起こらなかったが、隣の人がすげえ話してた。
隣から立ち聞き。
海南島の南端では未だに中国と東南アジア諸国やアメリカの情勢が絡み合った緊張状態が続いてて、小競り合いみたいな紛争が頻発してるらしい。で、軍隊にいた頃(数年前?)にその戦線で敵兵を2人殺して、合法な殺人だったけどそれ以上人を殺すのが嫌になって退役したらしい。学校にいた頃に知り合った彼といい、意外と軍隊にいる人って多いんだ。
一度人相見に顔を見てもらったら、人を殺す相だと言い当てられたと。よほど傷ついたのか、「ねえ俺ってまじでそんなに怖そう?」って何回も確認してて萌えたww
でもって退役したての頃はすごいマッチョで、周りの女の子に気持ち悪がられたとかw彼の奥さんはおなかがちょっとだけ出てるのが好きらしい。男らしく見えるんだとか…わからん 腹出てるくらいならマッチョのほうが全然いいやん
で数ヶ月前、一人で15人くらいを相手に喧嘩して小指が半分とれたらしいw飲み屋でお互い酔っ払って、口げんかから殴りあいになったら、相手方が15人くらいわらわら出てきたんだとwでそのうち3人をのしたら、残りの数人に腕を掴まれて更に別の一人にナイフでやられたと。どうやら非は向こうにあったようで、その15人くらいは全員警察に捕まったらしい。怖
この武勇伝好き加減は、もしかしてこの人 日本でいうところのヤンキーみたいなもんなんかなあ…話相手も普通話を話してるみたいなんだけど、若い女の子で、若い女性特有のはっきりしない喋り方をしていてよく聞き取れない。
そんな武勇伝を隣でききつつ、zhengzhou(漢字でない)へ着いた。
ここの駅の周りは飲食店に銀行に郵便局に、なんでもある。住みやすそうなところだ。
ところが、再び「外国人は星級ホテルへ」をくらうw
ここは重慶より厳しくて、4つ星以上じゃなきゃだめなんだってね。
で安そうな宿を何件か探し回ったが全部断られ、結局荷物が重くて当てもないのにうろつくのは嫌だったんで、とりあえず州のホテルにチェックインだけして、軽くなってから明日の宿を探すことにした。いくら外人ダメの規定があっても規定を無視して泊めてくれるところは絶対にあるはず。zhengzhouには行きたいところがかなりいっぱいあって、3日くらい泊まらなくちゃいけない。100台半ばくらいならまあ我慢して出すが220は、3日を過ごすには いくらなんでも高すぎる。
探し始めていくらもしないうちに、自転車に看板をくくりつけて走ってくるおばちゃんがパスポート持ってるならおkって言ってくれた。トイレつきで80元。悪くない。明日の朝宿を変えよう。
明日は商代遺跡へ。
朝起きるの大っ嫌いだったんだけど、最近普通に起きるなぁ…でも日本に帰ったらまた元に戻る気がするw今やってる道観巡りくらいでかい動機がないと起きないw
列車の上では特に何も起こらなかったが、隣の人がすげえ話してた。
隣から立ち聞き。
海南島の南端では未だに中国と東南アジア諸国やアメリカの情勢が絡み合った緊張状態が続いてて、小競り合いみたいな紛争が頻発してるらしい。で、軍隊にいた頃(数年前?)にその戦線で敵兵を2人殺して、合法な殺人だったけどそれ以上人を殺すのが嫌になって退役したらしい。学校にいた頃に知り合った彼といい、意外と軍隊にいる人って多いんだ。
一度人相見に顔を見てもらったら、人を殺す相だと言い当てられたと。よほど傷ついたのか、「ねえ俺ってまじでそんなに怖そう?」って何回も確認してて萌えたww
でもって退役したての頃はすごいマッチョで、周りの女の子に気持ち悪がられたとかw彼の奥さんはおなかがちょっとだけ出てるのが好きらしい。男らしく見えるんだとか…わからん 腹出てるくらいならマッチョのほうが全然いいやん
で数ヶ月前、一人で15人くらいを相手に喧嘩して小指が半分とれたらしいw飲み屋でお互い酔っ払って、口げんかから殴りあいになったら、相手方が15人くらいわらわら出てきたんだとwでそのうち3人をのしたら、残りの数人に腕を掴まれて更に別の一人にナイフでやられたと。どうやら非は向こうにあったようで、その15人くらいは全員警察に捕まったらしい。怖
この武勇伝好き加減は、もしかしてこの人 日本でいうところのヤンキーみたいなもんなんかなあ…話相手も普通話を話してるみたいなんだけど、若い女の子で、若い女性特有のはっきりしない喋り方をしていてよく聞き取れない。
そんな武勇伝を隣でききつつ、zhengzhou(漢字でない)へ着いた。
ここの駅の周りは飲食店に銀行に郵便局に、なんでもある。住みやすそうなところだ。
ところが、再び「外国人は星級ホテルへ」をくらうw
ここは重慶より厳しくて、4つ星以上じゃなきゃだめなんだってね。
で安そうな宿を何件か探し回ったが全部断られ、結局荷物が重くて当てもないのにうろつくのは嫌だったんで、とりあえず州のホテルにチェックインだけして、軽くなってから明日の宿を探すことにした。いくら外人ダメの規定があっても規定を無視して泊めてくれるところは絶対にあるはず。zhengzhouには行きたいところがかなりいっぱいあって、3日くらい泊まらなくちゃいけない。100台半ばくらいならまあ我慢して出すが220は、3日を過ごすには いくらなんでも高すぎる。
探し始めていくらもしないうちに、自転車に看板をくくりつけて走ってくるおばちゃんがパスポート持ってるならおkって言ってくれた。トイレつきで80元。悪くない。明日の朝宿を変えよう。
明日は商代遺跡へ。
さて、朝4時半の時計に従って起き、5時、宿を出る。
向かいの店が開いていたので、揚げパンみたいの(油条)と豆乳みたいのを食べる。油条めっちゃうめえw
あとなぜか隣で、やたら猫が興奮している。w
上り始めたあたりの時間では通り過ぎた道観はまだ門が閉まってて、昼になったら開くのかと思いきや 華山の道観は全部といっていいほど名ばかりで、今や住居やレストランに変わってしまっているか、壊されて跡だけ残っている状態であることが判明。
ひとつ「毛女洞」っていう道観があって、名前からして絶対抱朴子(神仙伝でも可)キタコレ(゜∀゜)と思って期待してたんだが、中に入ったらおっさんがアイスとか売ってるだけだった(´・ω・`)なんなのもう。文化大革命なの?
今回出会った虫さんたちはこいつら。




この蛾の柄見たことない!
肝心の道観がそんなだったんで、折角だから景色を拝もうと頂上(西峰)まで上ったわけですよ。標高2000メートルくらい、徒歩で。この傾斜のやばさ、写真で伝わるだろうか?



こんな階段が延々延々と続いてるんで、帰ってから1時間くらい(w)階段恐怖症だったw
はじめは休みなしでずーっと上れるけどさ、一回疲れきるともう何回休んでもだめなんだよね。筋肉の痛み(に近い疲労)はすぐとれても、数歩歩くとまたすぐ痛み出す。途中の小売店では、レッドブル大人気w
こんなふうに無数の空き缶がwww

因みにここには、こんなレッドブル缶に占領された机があと4、5個くらいあるw
あと途中に杖が落ちてたんで拾ってった。
呪われてはいなかった。たぶん転ばぬ先の杖[0]+1くらいw
実際杖ついて歩いてみても、何が楽なのかよくわからん。杖にしがみついて上るほうが疲れるんだが…背筋ピンとして足だけ動かして上ればそんなに疲れない(といっても限界があるけどw)
西峰の眺めは、雲の中を歩くという初体験だったな。武当山のときは雲なのか霧なのかはっきりしなかったけど、今回は回りを雲が取り囲んでるのがはっきりわかった。風に飛ばされてく雲が煙みたいに肉眼ではっきり、しかも目の前に見えるの。
崖の下からは、風に巻き上げられた雲がやっぱり煙みたいにどんどん湧いてくる。
景色はこんなんで



この山が見えてる反対側は、ガチで下真っ白。飛び降りたらどこまでも落ちていきそうな、吸い込まれそうな真っ白。ってか偶然空のペットボトルがその白い中に落ちていく光景を見たんだが、まじで「落ちた」ってかんじじゃなくて「吸い込まれた」ってかんじだった。
降りる時はさすがにロープウェイ使ったよ。死にそうに疲れてたしw
ロープウェイの切符売り場に至る道がまた死にそうに混雑してて、みんな考えること一緒なんやなあと思ったw
道を降りてく途中で、やっぱり運び屋さんと何回かすれ違って、そのうちの一人とどっかの奥様が
川´д`)まあ、それ一袋いくらになるの?
(゜д゜)500グラム5毛だよ
みたいな会話してて、悲惨さがわかった。みんな平均50キロくらいの荷物を担いで上ってるが、それでもたったの50元。
あ、そうだ降りる道で変なやつにも出会ったwなんか一人だけ、明らかに旅行客なのに紅い鉢巻してて、それ自体も異様な格好だったんだが、手に栗のイガ?みたいな形の植物いっぱい持ってて、それを道行く人に後ろから投げつけて遊んでたwwwや、反応を見るに、当たったら痛い系じゃなくて服にくっつく系みたいなのね。だから後ろから投げられると、気がつかずに服に変なイガイガくっつけたままずーっと歩いていくwwwでもなんかオバちゃんが一人気づいて、
(゜Д゜)これ誰がくっつけたのよ!!
みたいになってたwそしたらそいつ振り返って 俺☆ みたいなポーズとってたwww憎めないww
ロープウェイ降りて部屋に戻った頃には、もう夕方6時になってた。約12時間wこりゃあ歩いて降りなくて正解だったなぁ…でなければ暗がりの中をライトもなく、あの鬼のような坂を下ることに…ヒィ
今日はもう遅いので、切符は明日見に行く。都合がよければ河南省へ。
向かいの店が開いていたので、揚げパンみたいの(油条)と豆乳みたいのを食べる。油条めっちゃうめえw
あとなぜか隣で、やたら猫が興奮している。w
上り始めたあたりの時間では通り過ぎた道観はまだ門が閉まってて、昼になったら開くのかと思いきや 華山の道観は全部といっていいほど名ばかりで、今や住居やレストランに変わってしまっているか、壊されて跡だけ残っている状態であることが判明。
ひとつ「毛女洞」っていう道観があって、名前からして絶対抱朴子(神仙伝でも可)キタコレ(゜∀゜)と思って期待してたんだが、中に入ったらおっさんがアイスとか売ってるだけだった(´・ω・`)なんなのもう。文化大革命なの?
今回出会った虫さんたちはこいつら。
この蛾の柄見たことない!
肝心の道観がそんなだったんで、折角だから景色を拝もうと頂上(西峰)まで上ったわけですよ。標高2000メートルくらい、徒歩で。この傾斜のやばさ、写真で伝わるだろうか?
こんな階段が延々延々と続いてるんで、帰ってから1時間くらい(w)階段恐怖症だったw
はじめは休みなしでずーっと上れるけどさ、一回疲れきるともう何回休んでもだめなんだよね。筋肉の痛み(に近い疲労)はすぐとれても、数歩歩くとまたすぐ痛み出す。途中の小売店では、レッドブル大人気w
こんなふうに無数の空き缶がwww
因みにここには、こんなレッドブル缶に占領された机があと4、5個くらいあるw
あと途中に杖が落ちてたんで拾ってった。
呪われてはいなかった。たぶん転ばぬ先の杖[0]+1くらいw
実際杖ついて歩いてみても、何が楽なのかよくわからん。杖にしがみついて上るほうが疲れるんだが…背筋ピンとして足だけ動かして上ればそんなに疲れない(といっても限界があるけどw)
西峰の眺めは、雲の中を歩くという初体験だったな。武当山のときは雲なのか霧なのかはっきりしなかったけど、今回は回りを雲が取り囲んでるのがはっきりわかった。風に飛ばされてく雲が煙みたいに肉眼ではっきり、しかも目の前に見えるの。
崖の下からは、風に巻き上げられた雲がやっぱり煙みたいにどんどん湧いてくる。
景色はこんなんで
この山が見えてる反対側は、ガチで下真っ白。飛び降りたらどこまでも落ちていきそうな、吸い込まれそうな真っ白。ってか偶然空のペットボトルがその白い中に落ちていく光景を見たんだが、まじで「落ちた」ってかんじじゃなくて「吸い込まれた」ってかんじだった。
降りる時はさすがにロープウェイ使ったよ。死にそうに疲れてたしw
ロープウェイの切符売り場に至る道がまた死にそうに混雑してて、みんな考えること一緒なんやなあと思ったw
道を降りてく途中で、やっぱり運び屋さんと何回かすれ違って、そのうちの一人とどっかの奥様が
川´д`)まあ、それ一袋いくらになるの?
(゜д゜)500グラム5毛だよ
みたいな会話してて、悲惨さがわかった。みんな平均50キロくらいの荷物を担いで上ってるが、それでもたったの50元。
あ、そうだ降りる道で変なやつにも出会ったwなんか一人だけ、明らかに旅行客なのに紅い鉢巻してて、それ自体も異様な格好だったんだが、手に栗のイガ?みたいな形の植物いっぱい持ってて、それを道行く人に後ろから投げつけて遊んでたwwwや、反応を見るに、当たったら痛い系じゃなくて服にくっつく系みたいなのね。だから後ろから投げられると、気がつかずに服に変なイガイガくっつけたままずーっと歩いていくwwwでもなんかオバちゃんが一人気づいて、
(゜Д゜)これ誰がくっつけたのよ!!
みたいになってたwそしたらそいつ振り返って 俺☆ みたいなポーズとってたwww憎めないww
ロープウェイ降りて部屋に戻った頃には、もう夕方6時になってた。約12時間wこりゃあ歩いて降りなくて正解だったなぁ…でなければ暗がりの中をライトもなく、あの鬼のような坂を下ることに…ヒィ
今日はもう遅いので、切符は明日見に行く。都合がよければ河南省へ。
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プロフィール
HN:
七生踊
年齢:
36
性別:
女性
誕生日:
1989/03/03
職業:
主婦
趣味:
作画、作曲、漢籍
自己紹介:
だいぶ前に母屋がなくなったので前みたいな電波なのでなく普通に書く。
・1989,3,3生まれ、A型
・デフォルトでミニマム状態
・お菓子を見るとときめく
・昆虫を見てもときめく
・1989,3,3生まれ、A型
・デフォルトでミニマム状態
・お菓子を見るとときめく
・昆虫を見てもときめく