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しがない書生の日記でございます。
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最近、芸術や学問なんかの文化的な鍛錬は老後のためにしておくものでもあるんじゃないかと思いはじめている。

というのも、うちは「老人」が大嫌いだ。

これ見てる年配の方、ごめんなさいひとくくりにして。
正確には、うちが今まで見てきた「老人」像によってうちの中で固まった「老人」というイメージ、それが大嫌いだ。

物事を理屈で考えず、感情や経験に頼る。
創造性に乏しく、先例やマニュアルがないと動けない。
つまり自分の頭で考えるということを放棄している。
というのがうちが今まで最も多く見てきた老人のタイプ。
もちろん、はじめからこんな先入観を持ってすべての老人を見ているわけじゃない。
例外はちゃんといる。

その例外たちが、

化学の先生。絵の先生。世界史の先生。

みんな学問や芸術を自分なりに探求してきた人ばかりだ。

ちなみに同じ先生でも、家庭科の先生はうち的ステレオタイプな老人のイメージだった。






昔誰かが「ゲーム脳」なんていう荒唐無稽な論を残したよね。
それは概ねこういうものだった。

テレビゲームは思考を経ず、条件反射的にボタンを押す行為を繰り返すため、これに多くの時間を割くと大脳新皮質をなまらせて、思考力の乏しい子供になる。

まあゲームを批判したいだけの一面的な説ですわ。
ただ思考を経ない行為の積み重ねが大脳新皮質の働きを鈍らせるのは事実だろうね。





何が言いたいのかというと…

日々の日常生活だけでは、年を経るごとにまさに
思考を経ない行為の繰り返し
になる。
経験が浅いうちは、自分で試行錯誤を繰り返しながら最もいいやり方を覚えていく。
ただし経験をつんでいくと、その経験自体かなり頼れるものになってしまって、
「思い出す」行為こそすれ「考える」行為はしなくなる。する必要がなくなる。

家事労働然り、大半の貨幣獲得のための労働もまた然り。

ここへくると、芸術や学問の世界では経験は全くあてにならない。
芸術的な創造も、学問的な事例の追求も、その都度自分の頭で考えることを求めてくる。



若いうちは多少アホでもどうにかなるさ。美貌があるもの。
思考を放棄したって一枚の絵くらいにはなる。
だけどそんなものは年とったら消えうせる。
しわくちゃにたるんで見苦しい容姿と共に生きなければならない。

そうなったときに、その醜さによって空間を汚すような存在にだけはなりたくない。
絵になれなくても、文章になることだってできるのだから。

それには、日々思考を絶やさないこと。
そしてそれには、文化的なものに興味をもつこと。鍛錬すること。
そう思う。
 

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1989/03/03
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作画、作曲、漢籍
自己紹介:
だいぶ前に母屋がなくなったので前みたいな電波なのでなく普通に書く。
・1989,3,3生まれ、A型
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・お菓子を見るとときめく
・昆虫を見てもときめく

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